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DBS手術その後  ~3.5年を経て~

2022年10月30日

友の会熊本県支部会員 K.K

1.DBS手術その後 

パーキンソン病発病後12年目の2018年1月にDBS(脳深部刺激療法:Deep brain stimulation)手術を62歳で受けた。DSB手術は脳の深部の視床VIM、視床下核(STN)、淡蒼球等に電極を入れ電気刺激を加えることができる様にする手術である。この方法はパーキンソン病特有のウエアリング・オフやジスキネジアに有効であるといわれている。 

DBS手術を受けたきっかけは、手術の2か月程前の2017年11月頃からの症状の急速な悪化であった。特に夕方以降は、食事も薬も喉を通らず、オフ時はさらに体も動かない状態であった。椅子に座っていることがつらかったので、ベットに横になったが、ベットに寝ると逆にベットを構成する金具の凹凸がマットレスを通して感覚が鋭くなった腰の神経に当たり、腰が痛く辛かった。要は寝ても起きても苦しいという状態で、この状態が続くならいっそと思っていた。この容態からの脱出のため、前から話を聞いていたが、頭にメスを入れるのが怖くて断っていたDBS手術を意を決して受けた。 

手術によって体の状態はかなり改善し、ゴルフも普通に楽しめるほどになった。そういった意味で真に生返らせてもらった。ただ、時間とともに、足のすくみを中心に障害が出てきている。この手術を考えている人の参考として、手術後の経過の一例を簡単に述べる。 

手術を受けたのは2018年1月9日である。予想に反して、手術中は苦痛もあまりなく、手術を受ける身としては、簡単に終わった印象であった。ただ、手術を受けた日の夜、麻酔が切れた後は辛かった。その後は極めて快調であった。退院後、体力が戻ってくると、軽運動なら普通にでき、3月には会社のゴルフコンペに出場して18ホールを回ることができた。仕事を続けたほうがよいと言う人もいたが、それまでの体調の変化からこの時期の退職をにらんですべて準備してきたので、2018年の3月31日で完全に退職した。手術前は、会社で自分のデスクに一度座ると問題なく次に動けるかが不安であった。特にトイレにきちんと行くことができるか、階段で転倒しないかなどをいつも気にしていた。辞めるつもりで非常勤になっていたので手術後の出勤は10日程度であったが、そのような不安は感じなかった。大きな改善だった。 

ただ、先に書いたように手術からの日数の経過とともに足のすくみが出てきた。主治医からは、DBS手術はあまり足のすくみの改善には寄与しないと聞いてはいたが、初めて急なすくみを経験した時には幾分驚いた。すくみに対しは、手術を行った主治医の判断に従いまず脳に加える電圧を増やした。私の場合、手術直後の印可電圧がわりと低く抑えられたので、電圧の上げ代が十分あった。図1に電圧変更時期と印加した電圧の値を示す。手術直後は2.0Vであったが、時間の経過とともに2.0Vではすくみが改善しなくなり、徐々に電圧を挙げていった。図1からわかるように、2020年5月には3.1V程度までアップした。

すでに2019年の秋には、足のすくみがひどくなっており、息子と行ったゴルフコースで5回程度足がすくんで軽く転び、それ以降ゴルフはあまりしなくなった。 

手術から2年4ヶ月ほどたった2020年5月には、特に夜に、家の中を歩くことがかなりきつくなってきた。もっぱら、夜は家の中を電動車いすに乗って移動した。DBSの効果も期限切れかと落胆していた。定期の診察で病院を訪れた私の歩く姿を見た主治医の方々の提案で新規のくすりを追加するとともに、印可する電圧の電極の位置を変えることが試みられた。電極の位置を変えることは、電気で刺激する脳の位置を変えることを意味している。電極は手術時に脳の中にすでに複数埋め込まれていたので、新たな手術なしに回路部の設定変更のみで電極の位置を変えることができた。この結果は抜群だった。それまで、電動車いすに乗っていたものが嘘のように歩けるようになった。卑近な例では、それまでTV番組を見ていてCMの間にトイレに行って帰ってくることが、体が動かず不可能であった。しかし電極の位置変更後は余裕で可能になった。 

しかし、一度うまくいっても、時間とともに動きにくくなっていく。9月頃になると再び体が動きにくくなるとともに転倒がしやすくなってきた。5月に左脳の電圧のかけ方も変えてもらい体がそれまでと比べ動くようになったので、今度は、右脳に対する電圧のかけたを変えていただいた。最初に変えた電極の位置では逆に電圧が脳に効きすぎてしばらくするとジスキネジアのような症状が出てきた。再度使用する電極の位置を変えることで、ちょうどよい電圧の印可状態が見つかった。ただ転倒は、まだまだ、しそうになる。毎日一度は転倒しそうになり、10日の1度は実際に転倒したり転倒したり、転倒しそうになって手をついたりしている。特に急いで動いた時が危ない。また、首下がりの症状が出てきたため、重心が前に傾きより一層、転倒しやすくなっている。そこで、まず、ストレッチを行うとともに、立ち上がったら体を伸ばして、姿勢を正してから歩き出すといったような注意をしている。 

2.構音障害 

いつも痰が切れない感じで声が出にくい、早口になる、発音がはっきりしないといった構音障害が2020年の秋から気になりだした。リハビリ施設で嚥下の訓練を受けていたが、発声をよくするという観点から、カラオケをやったらどうだろうと思いついた。コロナ禍で特にカラオケはコロナの感染の温床になっているとの報道が多かったので、家でできる通信カラオケに加入した。通信カラオケはPCと月1000円の費用あれば驚くほどに手軽に始められた。 

カラオケを歌ってみて改めて気づかされたことは、息がもたず、一息で歌うべきフレーズが歌えないこと、歌える音域がかなり狭くなっていること等であった。このため、カラオケ装置が示す歌の点数は軒並み見るに堪えない点数であった(本人は昔と比べパーキンソン病の進行で歌が下手になったと理解)。そこで、カラオケの採点の点数が良くなれば、構音障害も少なくなるだろうとの、勝手な思い込みのもとにカラオケの訓練を始めた。訓練の成果は以下の様にチェックした。まず、通信カラオケ導入時にいくつかの曲を歌い、その中でカラオケの採点点数が最も高かった松山千春の「長い夜」を歌い込むこととした。歌い込みによる点数の改善状況を図2に示す。はじめ当初85点近傍だった点数は60日間ほど歌い込むと改善し最高で96-97点が出るようになった。全国の平均点が91点程度であるので、それなりにはうまく歌えるようにはなってきたと自画自賛している。ただ、図からわかるように習熟が進んでも結構点数はばらついている。のどの状態が悪く声が出にくいと感じられるときに点数が低めのことが多い。当初の予測とは異なり、結果は歌を歌うことで、構音障害全体に明らかといえるまでは改善はなかった。とくに、クリアに話すという課題にカラオケは、ほぼ無力であった。ただ、声が出にくいという課題に対してはある程度効果がありように思える。幾分大きな声で話せるようになってきたと思う。 

3,まとめ 

 病気のつらい日々からのがれるため、DBS手術を選択してから3年半経った。日々、効果が薄れてくるのではないかという恐れと、最悪だった手術前の日々に比べればまだまだいいやという変な安息感のバランスの中で生活して来た。ただ単純に考えると、いくつかの問題があっても、手術をしない場合のあの日々が今日まで続いていたことと比較すると、現状がはるかにbetterなことは言うまでもない。無理をして手術を受けることはないが、現状に耐え切れなければDBS手術が選択肢になる可能性はあると思う。 

<謝辞;病気の治療および手術は熊本託麻台リハビリテーション病院で行っていただいた。> 

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